学校のありかたに関するもうひとつの考え方
 −トランスジェンダーの立場から−

きょうと教組 どひ/いつき

1、はじめに −わたしはトランスジェンダー−

 わたしは、小学生の頃から、「女性になりたい」「女性でありたい」という思いを持ってきました。しかし、いまから30年近く前に、そうした存在をあらわす言葉もなく、情報もありませんでした。こんなことを考えているのは、おそらく世界でたったひとりだけだろうと思いながら、そうした思いは誰にも言えない秘密として隠し続けてきました。
 そんなわたしに転機が訪れたのは、1997年のことでした。とある事情で、同性愛についての勉強すすめていくなかで「トランスジェンダー」という言葉に出会いました。そのとき、まぎれもなく自分がそうであることを感じました。と同時に、わたしはわたし一人の存在ではなく、たくさんの仲間がいることも知りました。そこから、自己肯定の道を歩み始めました。しかし、トランスジェンダーとしてこの社会のなかで生きていくのは、まだまだ困難です。
 今回のレポートでは、トランスジェンダーの生徒たちが、とりわけ学校という場所のなかでどのような困難を抱えているのかということについて、考えていきたいと思います。そのために、トランスジェンダーとは何か、また、トランスジェンダーから見た社会のあり方から述べていくことにします。

2、トランスジェンダーとは?性同一性障害とは?

・トランスジェンダーとは
 社会(文化)によって規定される「男らしさ」「女らしさ」を強制されることを拒否し、生物学的性(先天的性)とは逆の社会的性(文化的性)を学習し、それを相対的に身にまとうこと。すなわち、社会的性差を越境しようとすること。

(『クィア・スタディーズ'97』所収
三橋順子「トランスジェンダー論 −文化人類学の視点から−」より)

・性同一性障害とは
 しかし、こうした固定化された性別を越境して生きようとする人もいます。このような人を(広義の)トランスジェンダーといいます。そのなかには、自分の肉体的な性別と性自認の間に違和感を感じる人々がたくさんいます。医療的な側面からは、そうした人々の持つ違和感のあり方が診断基準を満たす場合を、性同一性障害といいます。

(stn21編『セクシュアルマイノリティ』より)

3、現在の社会における性別のあり方
(1)法的性別
@母子健康手帳にある2ヶ所の性別記載
 母子健康手帳をお持ちの方は、子どもの性別について記載されている箇所が2箇所あることをご存じだと思います。ひとつは、1ページ目にある「出生届出済証明」です。もうひとつは、8ページ目「出産の状態」のなかにある「出産時の児の状態」です。
 前者は、出生届を出したことの証明となりますので、性別については「男・女」となっています。ところが、後者については、「出産時の児の状態」を医学的にあらわすもので、単胎だったか多胎だったかという記載と同時に、性別については、「男・女・不明」とあります。
 すなわち、医学的には人間は二つの性にわけられるものではないことが自明であるにもかかわらず、制度的・社会的には二つの性しか認めていないということです。そして、「不明な性」を持つインターセックスの子どもたちは、いずれかの性に強制的に振りわけられているのです。
A戸籍の問題
 戸籍制度の問題点は、すでにさまざまなところで論議をされています。ここでは、簡単に性別にかかわる内容を書かせていただきます。
 戸籍に記載する内容は、「本籍」「氏名」「出生の年月日」「戸籍に入つた原因及び年月日」「実父母の氏名及び実父母との続柄」「養子であるときは、養親の氏名及び養親との続柄」「夫婦については、夫又は妻である旨」「他の戸籍から入つた者については、その戸籍の表示」「その他法務省令で定める事項」となっています。したがって、戸籍には直接性別を記載する欄はありません。このことが、インターセックスの子どもの性別を留保できる根拠となっています。
 ところが、このことが逆に性別記載の変更を難しくしてきました。というのは、戸籍制度は、基本的に「続柄」で血統管理をする制度です。したがって、性別も「続柄」で管理をされています。つまり、「性別」は本来はその人固有のものであるにもかかわらず、他者との関係として把握をされているのです。このことは、たとえば、「1男→1女」というふうに変更した時、それにともなって、もしも弟がいたとしたら、「2男→1男」となりますし、妹がいたとしたら「1女→2女」というふうに、そのきょうだいの続柄も変更されてしまうことになります。
B「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」について
 先にも述べたように、2003年7月10日に、この法律は成立しました。この法律により、性同一性障害を持つ人の性別記載の変更の道筋ができました。このことは、長い間裁判で性別記載の訂正を求め闘ってきておられた方々にとっては、ほんとうに大きな喜びと言えます。
 しかし一方で、この法律を適用できる人の「要件」は、世界に類を見ないほどハードルの高いものとなっています。ここで、その「要件」が書かれている第3条を転載します。

第3条 家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれにも該当するものにつ
いて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。
@、20歳以上であること。
A、現に婚姻をしていないこと。
B、現に子がいないこと。
C、生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
D、その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えている
こと。

 特例法ができる前に、性別記載訂正の要件として、神戸学院大学の大島俊之さんは、「性同一性障害と診断されていること」「いわゆる性転換手術を受けていること」「性別訂正時に婚姻していないこと」の3つをあげておられました(いわゆる大島3要件)。大島さんは、社会的に認知されるためにはこのくらいの要件でいいであろう、と同時に、このくらいが必要であろうというふうに考えられたようです。これに対して、トランスジェンダー当事者内部で、2つ目の「いわゆる性転換手術を受けていること」について必要かどうかの論議があったと聞きます。
 ところが今回は、「B現に子がいないこと(いわゆる子なし要件)」「C生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること(子どもができないこと)」があげられ、たいへん厳しい要件となっています。とくに、「子なし要件」というのは、取り返すことのできない過去にさかのぼって要件をつけることなります。というのは、たとえ離婚をし、親権を相手に渡したとしても、子どもが生きている限りは「子どもがいる」となります。つまり、自分の子どもが生きている限りは、他の要件をクリアしても、性別の変更はできないことになります。
 この特例法が出る1ヶ月前、2003年6月12日の朝日新聞に社説「苦しみに終止符を 性同一性障害」が掲載されました。この社説では、「(子なし要件があっても)法案を一日も早く成立させることを優先してもらいたい」としています。また、「子なし要件はやむを得ない」ととれるニュアンスとして「けれども子どもの立場に立って考えてみるとどうだろうか。たとえば父親だと思っていた人が、ある日から女性になる。子どもがそう言う事実と向き合い、受け入れるのに大きな困難がともなうのも事実だろう」としています。
 しかし、当事者はある日突然「男から女」あるいは「女から男」に変わるわけではありません。長い年月をかけて家族と話しあい、さまざまなハードルを家族と一緒にクリアしながらトランジションをすすめていきます。そういう現実を知らず、想像で物事を考え、それが法律として成立していくことに、大きな不安を覚えます。
 さらに、子どもにとって見ると、「親が性別変更できないのは、自分の存在のせいである」と感じさせてしまいます。このことは、親と子の関係にとって決していいものではない、というより関係を悪くするものです。
 では、なぜこのような厳しい要件をつけたのでしょうか。
 そのことの背景には、多様なトランスジェンダーのあり方を知ることなく、既存の価値観の中で、既存の家族制度や性別2元性の社会の枠組みを揺るがさない範囲においてのみ、性別の認めてもいいというものがあるといわれています。すなわち、より多様な存在としての「トランスジェンダー」が生きやすい社会をつくるものではなく、逆に、現在のバックラッシュの動きと相まって、既成の男女観におさまる人のみを救済し、「多様な性のあり方」を排除する動きであるという指摘をする人もいます。
 国際的には、2003年9月に開催された「ハリーベンジャミン学会」で、英国議会で検討されている「性別承認法案」が紹介されました。この法案ではBどころか、CやDの要件も必要とされておらず、今後の国際的な潮流になるだろうという報告もされています。「性別承認法案」の日本語試訳は杏野丈さんのサイトhttp://www.harikatsu.comの「私的図書室」に掲載されています。
 なお、「特例法」には、「附則」として「性別の取扱いの変更の審判の請求をすることができる性同一性障害者の範囲その他性別の取扱いの変更の審判の制度については、この法律の施行後3年を目途として、この法律の施行の状況、性同一性障害者等を取り巻く社会的環境の変化等を勘案して検討が加えられ、必要があると認めるときは、その結果に基づいて所要の措置が講ぜられるものとする」とあります。
(2)社会的性別
 「母子健康手帳」の項で、「不明」という性別があることを述べました。そして、出生届を出す時に、その「不明」とされる子どももどちらかに強制的に振りわけられると書きました。しかし、あまり知られていないことですが、性別の届け出については留保ができます。したがって、制度上は「留保」という形で、どちらでもない性別を当面ではありながらも選択することができます。しかし、たとえ書類上留保をしたとしても、その子が一定の年齢に達し、保育園・幼稚園、あるいは小学校に入学する時は、社会的にどちらかの性別に属することを、ありとあらゆる場面で、否応なく求められてしまいます。
 また、わたしたちが社会の中で暮らす時、いちいち性器を見せるわけでもなく、また、書類を持ち歩くわけでもありません。つまり、日常生活における性別は、肉体や書類上の性別に裏打ちされているわけではなく、むしろ、その人のまとうジェンダーによって、本人の意識とは無関係に、他者から規定されていると言ってもいいかもしれません。そして、その根底にある判断基準は何かというと、やはりそこには「性別2元制」があると言わざるを得ないのではないでしょうか。
 昨今では、「男女共同参画社会」という言葉が述べられています。しかし、性同一性障害の治療に携わるある精神科医は、次のように述べています。

 いまの「男女共同参画社会」というのも、性別2分法に基づいていますからね。あれは、男女差別の新しい形じゃないかなぁと思ってるんです。ふたつしかないところから出発した「男女共同参画社会」、そこからはずれた人は、社会に参画できない人ということを、非常にはっきり言ってしまったみたいなもんでしょ。
 僕も県の職員ですから、いろんな会議で「男女共同参画」とか、しきりに出るんです。だから、「トランスジェンダーの人とか性同一性障害の人とか、いったいどうなるんですか、どう考えとるんですか」と言って質問することにしてるんです。「そういう人は、社会に参画できんのですかねぇ」と言うことにしてるんですけど、だいたいそういう人のことはまったく念頭にないですね。

(米沢泉美編著『トランスジェンダリズム宣言』(社会批評社)所収
「中島豊爾インタビュー −医療はトランスジェンダーにどうかかわるか−」より)


4、社会の縮図としての学校における性別のあり方

 日本においては、ほとんどの人が、一度は学校での生活を経験します。その学校における「性別」とはどんなものでしょうか。
 昨今「混合名簿」は、かなり一般的になってきました。また、「ジェンダーフリー」や「ジェンダーセンシティブ」という言葉も、一般的になってきました。そのことは、ジェンダーフリー教育へのバックラッシュがあることを見ても、たしかだと思います。
 しかし、それらの前提として、あくまでも「女と男」というふたつの性別しかないという考えは、まだまだ根強いのではないでしょうか。そのことを、次の章で検証したいと思います。

5、学校におけるトランスジェンダー生徒の思い

 ここでは、トランスジェンダーの生徒が学校でどのような思いでいるのかを、東京で開催されている「GID親子会」の第1回目の会合でとったアンケートをもとに考えてみます。
 なお、このアンケートはわたしがおこなったものではなく、セクシュアルマイノリティ教職員ネットワークを通して、実際に実施された方からいただいたものです。このレポートへの掲載許可を求めた時、快く許していただけたばかりではなく、「子どもたちの声が広くしれることを、アンケートに答えてくれた子どもたちは望んでいます」と言ってくださいました。この場を借りて関係者、ならびに生徒さんたちに感謝いたします。また、レポートの最後に、全校へ向けてカムアウトをした生徒の文章を掲載しました。あわせてお読み下さい。
(1)学校生活で、困ったり、いやだ、とおもったことはなんですか?(複数可)
 この問いに対して、以下のような項目が揚げられました。まず、具体的な学校生活については、「受験・面接」「健康診断」「体育の実技授業」「制服」「プール・更衣室」「保健の授業など」「宿泊行事」となっています。また、人間関係などについては「友人」「教師」「その他」となっています。
@受験・面接
「知る前は普通なのに、知ると突然様子がこわばる」「願書や入学手続きの書類で、やたらと『性別』の欄が多い」
 考えなくてはならないのは、「受験・面接」時に、すでに困ったりいやだと感じていることです。これを見ても、学校生活をはじめる前に、すでに壁に突きあたっていることがわかります。
 次に、制度面について考えていきます。
A健康診断
「男女別にわけられること。男子と女子で日がちがうこと。地獄です」「クラスメートの前で脱がなければならないこと(当日はやすんで、日をずらすなどして工夫した)」「男子は上半身裸になるので、その日うけず、今もそのまま」
B制服
「自分の性自認とちがう制服を着なければならないこと」「制服が着られないので、5分で行ける地域の学校には行けず、1時間かけて他の学校へ行っている」「制服が着れない。ジャージで登校した。私服の学校を選ぶことができれば恵まれているが、選択肢がせばめられる」
 学校は、基本的には@女と男しかいない、A性自認と肉体の性のズレがない、B異性愛である、ということを前提にして制度がつくられています。そうしたなかで、トランスジェンダーの生徒たちは、自分が反対の性にカテゴライズされるわけです。そのことに対する、悲鳴のような声が聞かれます。
C体育の実技授業
「体育の実技はしない」「着替えがいや」「体育着は体の線が際立ってそれを男子がみてるようで嫌で嫌でっしようがないそれに男女わけてやるのはやっぱりやめてほしい」「男女別の更衣室が問題」
Dプール・更衣室
「はっきりいって嫌だ。地獄だ!プールのたび早く胸取りたくて、でもまだむりで…つらくなる」「プールは最悪。できるだけ休もうとするから成績が取れない」「一緒に着替える友人への罪悪感がつきません」
 体育の授業は、「着替え」をはじめ、授業内容も男女にわけて行なうことが一般的です。そのことは、上に見られるように「授業に参加ができない」「成績が危なくなる」など、トランスジェンダーの生徒にとっては死活問題となります。
E保健の授業など
「男女別、性別違和のないヘテロセクシュアルを前提にしているため、トランスジェンダー・インターセックス・レズビアン・ゲイ・バイセクシュアルへの話がない」「自分には生理も射精もないので(インターセックス)ちんぷんかんぷんでした」
 保健の授業も、性別2元制と異性愛主義を前提として授業がなされるために、上のような声があげられています。とりわけ、インターセックスの当事者からあげられている声に耳を傾ける必要があるでしょう。
F宿泊行事
「行きたくない」「部屋別の風呂はいいが、大浴場の場合、入らない」「入浴は個室だったが、寝る部屋は戸籍の性の部屋だった」
 宿泊をともなう行事では、風呂・トイレ・部屋割りなど、生活のすべてが男女にわけられてしまいます。そのため、本来は楽しみであるはずのこうした行事が、もっとも苦痛になる可能性があります。
G友人
「そこそこ楽しい」「本心を話せる友人は少ない」「私の方から心を閉じてしまったので、親しい友人は一人もできなかった」
H教師
「理解してくれてるし、問題ない」「必ずしも理解があるとはいえない。偏見丸出しのコメントなどが、授業に冗談として刷り込まれることがある」「あくまでかくしとおすよう指導された。解決ではない」
 友人や教師との対人関係は、本当にケースバイケースです。カムアウトができる友人関係や、支援してくれる教師との関係がある場合もあれば、まったく反対の場合もあります。
Iその他
「トイレは現在教職員用を使用」「混合名簿ではない」「学生証の記載など、変更してもらうのが困難」「将来、どうしよう」
 その他、更衣室と並んで男女をわける施設はトイレです。これも、理解のある学校とそうではない学校では、ずいぶんと違う状況があるようです。また、混合名簿が、トランスジェンダーの生徒たちにとっても必要であることが指摘されています。さらに、トランスジェンダーのロールモデルが、学校教育の中ではまったく語られないということは、中・高生のトランスジェンダーにとっては、将来展望を持つうえで深刻な問題となります。
(2)学校のなかで、ほっとしたり、よかった、とおもったことは、どんなときですか?
「よい先生に恵まれて、大学になるまでは、いじめられたことがなかった。(大学でいじめにあった)」「男子と普通に話しているとき」
 施設面・制度面などでは、トランスジェンダーの生徒たちのことを配慮しているとはまったく言えないのが現在の学校の状況です。しかし、そうしたなかで、ほっとしたりよかったと思うこともあるようです。それは、理解ある教師や理解ある友だちの存在です。したがって、教職員研修やセクシュアルマイノリティへの理解を含む性教育が、当事者の生徒たちをエンパワーメントさせるために重要であることがうかがわれます。
(3)あなたの夢や希望をおきかせください
「18歳になったら、ホルモン注射・20歳になったら、性転換をする」「どういう形にしても、結婚すること」「一生、続けていける仕事をもつこと」
 トランスジェンダーとひとことで言っても、違和感のありかたやニーズは多様です。また、それらも時間を追うごとに変化をしていきます。したがって、自分の違和感とじっくりと向きあい、性急に「正解」を出さないことが、将来的にQOL(quality of life)を高めていくために必要となります。しかし、時として自分の違和感と充分に向かいあうことなく、一足飛びにホルモンや性別適合手術を望む人もいます。特に、若年層のトランスジェンダーの場合、ゆっくりと話を聞く大人がいることが必要となるでしょう。
 また、今の学校教育のあり方は、トランスジェンダーの生徒を学校文化(=性別2元性・強制異性愛主義)から排除する方向と言えるでしょう。そのため、トランスジェンダーとりわけFtMの当事者の低学歴の傾向がうかがわれます。ここにはさまざまな要因がからんでいると考えられますが、いずれにしろ、トランスジェンダーの生徒たちがセルフエスティームを高め、将来展望をもてるような学校教育のあり方を模索する必要があります。

6、トランスジェンダー教員としてのわたしの思い

 トランスジェンダー生徒にとって厳しい学校の状況は、トランスジェンダー教員にとっても決して暖かい状況ではありません。ここでは、簡単に制度面と対人関係面にわけて考えてみることにします。
(1)制度面
 学校の教員は、表面上はそれほど強く女性・男性の役割分担があるわけではありません。したがって、「女性として勤務をしたい」と言ったとしても、形としては「女性としての勤務」というのはありません。しかし実際には、生徒と同様に、日常の学校での勤務では、トイレ・更衣室(ロッカールーム)・休養室など、男女に2分されたところがたくさんあります。また、年に1度義務づけられている健康診断も、基本的に男女に2分されています。さらに、研修旅行や合宿など宿泊をともなう行事の場合には、生徒たちが直面するものと同様の困難があります。
 ここで、わたしの状況を述べることにします。
@トイレ・更衣室・休養室について
 トイレについては、学校外のプライベートなところでは、基本的には女性のトイレを使用しています。また、やむを得ない時には障碍者用のトイレを使っています。しかし、学校においては、書類・肉体上の性別がすべての教職員・生徒に知られているので、女性用のトイレを使うわけにはいきません。そこで、しかたなく男性用のトイレの個室を使うことにしています。ただ、男性トイレに入るところを他の人に見られるのはいやですし、個室を使っている最中に男性が入ってきた時はとてもではないけど個室から出られないということがあるので(自ら「男性」であることを他の人にアピールすることになってしまう)、確実に他の人が入ってこない時間帯をねらうことにしています。
 更衣室(ロッカールーム)については、わたしの勤務校では、女性用についてはカギもかかる部屋になっていますが、男性用はカーテンで区切っているだけです。さらに、男性用ロッカースペースで外来者の応対をしている時もあるので、基本的には自分のロッカーにはものを入れるだけにしており、着替えなどには使うことはできません。もっとも、これはわたしにとってだけではなく、他の男性教員にとっても不便なことです。そういう意味でも、改善を働きかけていく必要があります。
A健康診断について
 健康診断、特に心電図や内科検診については、教職員については基本的には個人単位になりつつあるようです。しかし、心電図の着替えや、レントゲン・胃部検診の検診者の乗り込みについては、効率を求めるために、男性・女性をグループ化して実施をしています。
 わたしの場合、管理職にはカムアウトしているので、レントゲン車や胃部検診車には一人で入るように配慮をしてくれています。
B宿泊をともなう行事について
◯修学旅行
 修学旅行には、何度か引率で行くことがありました。トイレや風呂については、生徒が入らない時間帯をねらって行くことにしています。ただし、バスでの移動時など、トイレの時間が重なる時は、我慢せざるを得ない時もあります。
◯クラブ合宿
 クラブ合宿では、生徒たちにカムアウトしてあることもあって、比較的楽です。部屋については、顧問ということもあり、個室を使わせてもらっています。
 一度、「みんなで温泉に行こう」ということがありました。カウンターで女性用のロッカーキーを渡された時には、生徒たちと話をしたあと、(不本意ながら)男性用のロッカーキーに交換せざるを得ませんでした。
◯その他
 ある全国レベルの生徒の交流会では、他の女性教員の協力もあり、女性の部屋で宿泊することができました。また、女性教員からは「女性のお風呂に入ればいい」と言われました。しかし、女性のお風呂にすでに生徒が入っていたことから、男性のお風呂に入ることにしました。その際「もしも男性が入ってきたらどうするの?」と言われました。わたしは「慣れているから」と答えたのですが、その女性教員は「そんなことに慣れたらダメ!」と言い、他の男性が入ってこないように、お風呂の前で番をしてくれていました。
 理解者のいる宿泊行事では、多少の不便はあるものの、ずいぶんとありのままの自分でいることができます。
(2)対人関係について
 わたしは『部落解放』2002年5月号「性の多様性を考える」の巻頭の座談会に、ひょんなきっかけで出ることになりました。そのことをきっかけに、管理職にカムアウトしました。また、『部落解放』をきっかけに、解放教育・在日朝鮮人教育の仲間や、教育委員会の中にもわたしがトランスジェンダーであることを知っている人がいます。しかし、全教職員にカムアウトしているわけではありません。ましてや、すべての生徒にカムアウトしているわけではありません。
 教員にとってのカムアウトは、無限に広がらざるをえないような気がします。というのは、学校全体への理解を求めることは、教職員・生徒・保護者、あるいは転勤先の同様の人たちへと広がっていきます。それを将来にわたってし続けることができるかどうか。困難であるというより、そこまでパワーを使って説明し続ける必要があることにたいして、とても面倒くさいというのが正直な実感です。

7、望まれる学校・社会のあり方

(1)当事者へのサポート
 トランスジェンダーが生きていく上で、学校教育はたいへん重要な位置を占めます。学校には、いままで述べてきたような制度面と、教職員などによる「何気ない一言」などによる非制度面でのジェンダーの固定化がたくさんあります。こうしたものは、しばしば当事者を不登校に追いやり、そのことがトランスジェンダーの低学歴化、就労の不安定を生み出します。
 トランスジェンダーの生徒が、さまざまな要因に妨げられずに自らの違和感と向きあい、どのような生き方を選択していくかを自らの意思で決めることのできる環境をつくるとともに、トランスジェンダーとしての将来展望を持てるような教育内容をつくりだしていく必要があるでしょう。
(2)当事者ではない人への啓発のあり方
 一般社会において、トランスジェンダーの存在は、まだまだ正しく認識をされていません。とくに、MtFに対しては学校・社会や、とくにマスメディアで笑いものにすらされる傾向があります。先にも述べたような環境をつくりだしていくためには、教職員研修やセクシュアルマイノリティへの理解を求める性教育をしていくと同時に、学校教育のあらゆるところにそれを生かしていく条件整備が必要でしょう。また、すべての生徒が、自分のセクシュアリティと真摯に向かいあうような性教育の教育内容をつくりだしてことも、同時に必要でしょう。

 GID親子会・アンケート結果

02・9・8
都立第二商業高校・定時制 部活動「性と生を考える会」
(対象中(2)・高(2)・他(2))

(1)学校生活で、困ったり、いやだ、とおもったことはなんですか?(複数可)

1、受験・面接
・知る前は普通なのに、知ると突然様子がこわばる。わざとらしくてこちらもこわばる。
・受験の願書や入学手続きの書類で、やたらと「性別」の欄が多い
・受験票の写真の見た目と法的書類上の性別・名前が違うため、ストレスが高い
2、診断健康
・男女別にわけられること。男子と女子で日がちがうこと。地獄です。
・クラスメートの前で脱がなければならないこと(当日はやすんで、日をずらすなどして工夫した)
・男子は上半身裸になるので、その日うけず、今もそのまま。
・小学校の時から上半身脱いで順番をまつのがいやだった。
・個人で、一人だけでうけた
・胸をみせなければならないのがつらい
※婦人科の診察や病院での好奇な目がいや
3、制服
・自分の性自認とちがう制服をきなければならないこと
・制服がきられないので、5分でいける地域の学校にはいけず、1時間かけて他の学校へ行っている
・スカートはいつまでたってもいや
・制服が着れない。ジャージで登校した。私服の学校を選ぶことができれば恵まれているが、選択肢がせばめられる。
・あらゆる制服のデザインを男女共用にしてほしい
4、体育の実技授業
・体育の実技はしない
・着替えがいや
・体育着は体の線が際立ってそれを男子がみてるようで嫌で嫌でっしようがないそれに男女わけてやるのはやっぱりやめてほしい
・男女別の更衣室が問題
5、プール・更衣室
・はっきりいって嫌だ。地獄だ!プールのたび早く胸取りたくて、でもまだむりで・・・つらくなる。
・着替えがいや
・プールは最悪。できるだけ休もうとするから成績が取れない。
・水着が苦痛。プールのない学校もあるらしいが。
・一緒に着替える友人への罪悪感がつきません。
・着替えができない。プールはやらない、水着が着られない
・はいれない
6、保健の授業など
・男女別、性別違和のないヘテロセクシュアルを前提にしているため、トランスジエンダー・インターセックス・レズビアン・ゲイ・バイセクシュアルへの話がない
・健康な異性愛の男女の話ばかりされるのは嫌だ。聞くのもつらい。話をするなら、セクシュアルマイノリテイのこともきちんと話してほしい
・自分には生理も射精もないので(インターセックス)ちんぷんかんぷんでした
7、宿泊行事
・行きたくない
・皆といっしょに風呂にはいれない。生理中と偽って一人風呂にはいるか、入らない。
・今から悩みがいっぱい
・部屋別の風呂はいいが、大浴場の場合、入らない
・お風呂はいや。
・入浴は個室だったが、寝る部屋は戸籍の性の部屋だった。
8、友人
・そこそこ楽しい
・本心を話せる友人は少ない
・カムアウトがしにくい。いじめの原因になるかも。
・女子はいない。男子はたまに女体であることをネタにからかってくる。
・私の方から心を閉じてしまったので、親しい友人は一人もできなかった。
・自分のことを話せない
9、教師
・理解してくれてるし、問題ない
・必ずしも理解があるとはいえない。偏見丸出しのコメントなどが、授業に冗談として刷り込まれることがある
・セクシュアルマイノリテイについて考えているとかんじられたことはありません
・あくまでかくしとおすよう指導された。解決ではない
10、その他
・トイレは現在教職員用を使用
・混合名簿ではない
・学生証の記載など、変更してもらうのが困難
・将来、どうしよう
・着る服がない!男子のSサイズもっと増やせ!
・人目とノーマルな(?)男女の人との付き合い。

(2)学校のなかで、ほっとしたり、よかった、とおもったことは、どんなときですか?

・よい先生に恵まれて、大学になるまでは、いじめられたことがなかった。(大学でいじめにあった)
・男子と普通に話しているとき
・入学式のとき、親にGIDやジエンダーの話をさせてくれた。
・何かあるたび、担任・親・と3人ですり合わせをしてくれる。

(3)あなたの夢や希望をおきかせください

・胸を取ってもっと中性的な体型になって「黒髪の美少年」になりたい。
・どういう形にしても、結婚すること。
・一生、続けていける仕事をもつこと。
・18歳になったら、ホルモン注射・20歳になったら、性転換をする。