2001年度の「いつきの不定期日記」

4月5月6月7月8月9月10月11月12月1月

 ありゃ?気がついたら、もう2月だぁ。
 実は、tripodって、1ヶ月放っておいたらサーバーのスペースを取りあげられちゃうとか…。そうならないように、トップページの玖伊屋のところだけは変えていたんですけど…。
 ま、とりあえず11月〜1月まで、これまたいろいろありました。思い出しながら書いてみますね。


2002年1月のこと

 1月かぁ。そろそろ記憶も鮮明になってきたかな?
 1月は、ある意味いつきにとっての人生の転機とも言える出来事があった月でした。


1月28日のこと

 平安女学院短期大学で1時間半ほど学生・教職員のみなさんにお話をしました。
 といっても、難しい話はあまりしたくないし、できないですね。自分のいままでのこととその中で考えてきたことなんかを、ボチボチと話しました。
 でもダメですね〜。どうもマニアックになってしまう。とくに大学時代。
 大学時代は、ちょっと運動がかっていたもので、デモとかよく行きました。そのころの話をすると、ちょっとのっちゃうんですよね。でも、最近の大学生にはまったく通じない。聞いている人たちの顔を見ると、大学生はポカーンとしているし、教職員の人にはやけにウケている。「こりゃまずい」と思ったはもののとまらないんですよね。
 でも、話し終わったあと、何人かの人が質問に来てくれたり、そのあとの交流会にも何人かの人が来てくれてもう少し深いところまで話せたり、なかなかよかったです。


1月25日〜28日のこと

 宮崎まで某団体の教育研究集会に行ってきました。って、まるわかりじゃん!
 この4日間のこと、面倒くさいのでSTNのメーリングリストにいつきが投稿したのをちょっと変えて転載しますね。28日の平安女学院の分も、ちょっとだけ入っています。

25日(金)
 夕方、関空から飛行機で宮崎へ。9時頃からみんなでご飯を食べに行く。終 了は11時頃。そのあといつきはひとりで夜の街へウィスキーを探しに出た。
 宿泊先は宮崎ライオンズホテル。ホテルのまわり、かなりあやしげな街だけど、繁華街なので暗いと ころもなく、安心。しばらく探して、ようやくそんな遅い時間でも開いている酒 屋を発見。ウィスキーをゲットして、そのあとつまみを買いにホテルの隣のコン ビニへ。
 いよいよコンビニチェック!緊張が走る。レジうちのおじさん、ちょっ と迷ったあとブルーのボタンに手が伸びる。敗北!やはり気合いが足りなかった と反省。

26日(土)
 第1日目、全体会。午前中の特別報告に感動。でも、中身は省略。
 全体会終了後、stnのOさん、Sさん(ふたりともゲイ)と会う。いきなりオーラが全開。やはり年 季が入っているなと思い、勝負を断念する。
 その後、Oさん・Sさん・Tさん@stn代表とはぐれ、京都の人たちとホテルへ帰 る。だって、「温泉に行こう」とか言っているんだもん。わたしも行きたいけど さぁ…。
 ホテルに帰り、夕方、「そうそう」と思い、「フリスク」とかを買いに再びき のうと同じコンビニへ。今日のレジうちは若い女性。再び緊張が走る。しかし、 「今日は昨日とは違うわよ〜、リベンジよ〜」と気合いを入れる。いよいよコン ビニチェック。じっと見ていると、ピンクのボタン上から2番目をpush!大勝利!思 わず心のなかでガッツポーズ!だって、ノーメイクだったんだもん!
 夜、京都のメンバー3人で近所にのみに行く。ちょっと薄化粧。といっても、 メークの下地にうっすら口紅程度。9時過ぎまで飲んで、京都の人と別れて、T さんたちと合流。近くの「ゲイバー」に行った。う〜ん、雰囲気だわぁという 感じ。そこで、思わずデニムのスカートに着替えた。でも、それだけ。やがて11時 過ぎにTさんはもう一軒のゲイバーに行くっていうんだけど、わたしは帰 ることにした。ちなみにTさんはお茶を飲んでいたらしい。

27日(日)
 分科会。午後からレポート発表。あと、いくつか意見を出し、分科会に参加。 「うるさいヤツ」と思われたかなぁ。だって、発言中に「父兄」とか「家内」と か言う人がいるんだもん…。
 夜は、宮崎県同教のひとたちとstnの交流会。もちろん「若づくりのおばさん モード」で参加(Aラインのチェックのスカートと黒のタートルネックのセーター、 リサイクルショップで買った、ちょっとお水系かもしれない黒のコート)。
 話はとても盛りあがった。宮崎の人のうちの1人の人がかつて担任した生徒の 中にMtFの人がいて、普通のところに就職したけど結局適応できずにやめて、 現在ゲイバーで働いているとのこと。同窓会には「女性」として参加したって。 みんなびっくりしていたらしい。そりゃそうだ。でもしんどいなぁ。
 みんなが帰っ たあとも、その交流会を仕掛けた人がわたしをつかまえて、「もう少し飲みましょ う」と言うことで、京都の同和教育の状況のこととかいろいろ話をした。そうこ うするうちに、お店のお母さんが出てきてメイクの話になった。「目元とか眉が 難しい」というと、「うちの子どもは眉を剃るのがうまい」と言い出して、結局 眉を剃ってもらってしまった(いまも短いまま)。
 タクシーで帰る。ラーメンを食べ、再びコンビニへ。きっちりピンクのボタン。 でも、勝負にならんわなぁ(笑)。そんな格好で、メイクもしていたら。うれし くもなんともないわ…。

28日(月)
 午前分科会。早めに帰らなくちゃいけないので、途中で抜ける。
 夕方から平安女学院短期大学で学生・教職員相手に講演。自分の生い立ちとか いまの状況・課題などをしゃべる。終わったあとに、フェミニストの女性から 「フェミニズムとトランスは共闘できるか」という、とっても難しいテーマを 提示されてしまった。そんなのいつきにわかるわけないじゃない。宮崎さんが いたら喜ぶだろうなぁと思いながら、「当面は無理かもしれない。 でも、トランジションを完成したあとならできるかも…」と、少々手に余る回答をしておいた。 なにしろ、フェミニズムは頭ではわかるけど、心では反感を感じて生きてきたんだもの…。 そのあと、交流会。学生が4人も来てくれた。
 家に帰ったら11時過ぎ。やれやれ…。

 今回もっとも強く感じたこと。
 ホテルのフロントの人、とまどっただろうなぁ。


1月24日のこと

 10度目の脱毛でした。
 もう10度目かぁ。でも、「痛いですか?」って聞かれても…。痛いに決まってるじゃん(涙)!


1月20日のこと

 『部落解放』という雑誌の座談会でした。
 そもそもは、11日の夜にかかってきた電話でした。
 ゆえあって、中学生の受験対策の学習会をしている最中に、大阪市教委のH立という人から携帯に電話がありました。 「『部落解放』という雑誌の4月号がセクシュアルマイノリティの特集なんだけど、その巻頭にある座談会に出てくれないか」というものでした。 おいおい、『部落解放』って、たしかに一般的にはマイナーだけど、わたしのエリアでは超(は言い過ぎか…)メジャーな雑誌じゃない!
 迷いました。で、ある人に相談をしました。すると、「おまえ次第だけど、話できる『内容』はあるのか?」ということでした。そう言われると…。ないわ、わたし。
 他のメンバーは池田久美ちゃんとハッシーということだったので、久美ちゃんに電話をしました。すると留守電…。
 翌日は、両親を連れての旅行でした。その行きの車の運転中、久美ちゃんから電話がありました(おいおいいかんやろう)。
 久美ちゃんの言うことには「もともとは池田vsハッシーvs虎井だったんだけど、虎井さんの都合が悪くなったのよね。 で、佐倉智美さんも考えたんだけど、 みんな「揺れ」がないでしょ。そんなんおもしろくない。だから『揺れている』いつきさんはどうかなと思った」ということでした。
 「なるほど、そりゃ、わたしは揺れているわ」と思いました。で、ついつい引き受けてしまいました。で、その2日後、父親にカミングアウトをしました。ま、ウチの父親、知っている人に 最低でもトランス2人、レズビアン1人がいるので、さほど驚くこともなかったようです(笑)。
 さて、火曜日に学校に行き、最初に相談した人に「引き受けることにしました」と言ったら、「この際だから実名を出したら」と言われました。「え〜」と思いましたね。でも、引いているわたしの表情を見て「なにがこわい?」と言われたんです。 瞬間、「あっ、こわいのは、自分自身の問題なんだ」と思いました。そう言えば、昔、ある在日の生徒に、「自分の一番の友だちに自分が在日であることを言ってごらん」と言ったことがありました。その時、その生徒はじっと考え込んで「言えない」とポツリと言いました。その時の生徒の顔が浮かんできました。 いままで、さんざん部落の子や在日の子に「この壁を越えれば」ということを言ってきたんですけど、 その瞬間、「自分が越えなくちゃいけない壁なんだ」と思いました。で、笑って「そうですね。その方がすっきりしますね」と答えました。
 20日、大阪の芦原橋にある部落解放センターに向かいました。まずは気合い試しに、近くのコンビニでお茶を買いながらのコンビニチェックです。結果は勝利!もちろんノーメイク。やっぱり、なかなか気合いが入っていたようです。 途中、スカートに履き替えて、センターに入りました。なんども行ったセンターでしたが、まさかスカートをはいて入るとはお思いませんでした。 「時代も変わったものだ」というか「自分が変わった」だけなのか。
 前日のお酒と途中飲んだお茶が聞いてきたのか、さっそくトイレに行きたくなり、トイレに行くとそこには久美ちゃんが…。思わずお互いに「あけましておめでとうございます」とあいさつをしてしまいました。 しかし、久美ちゃんとトイレで雑談をするとは…。「時代も変わったものだ」というか「自分が変わっただけ」なのか…。でも、妙な心地よさがありました。
 座談会そのものの印象は、とにかく「長かった」ということと、「ハッシーはやはりハッシーだ」ということぐらいしかおぼえていません。
 なにしろ、座談会の時間は4時半〜6時半と聞いていたのですが、H立さん@コーディネーターが「それじゃ、最初は池田さんから」にこたえて、久美ちゃんが話をしたのがいきなり30分。その後ハッシーは40分。「もうすぐ時間切れじゃん!」とか思いながらわたしも40分ほどしゃべったかなぁ。 結局終わったのは8時半。それも、編集の方が「もう録音するテープがないんです」と言われたからというとんでもない状況でした。
 終わってから、「近くの中華料理屋に行きましょう」と編集の方が言われました。実は、いつきはその中華料理屋、会議のあとに何回も行ったことがありました。で、あまりいい印象がなかったんです。 だって、いつも注文が「焼きそば・ぎょうざ・ビール」だったんですから。もちろん、一緒に行った人がいけないんですけど…。
 で、「頼むからやめて」と言うと「じゃ、白木屋」ということで、結局白木屋になりました。あまり変わらないという話もありますけど…。
 『部落解放』の特集、実は5月号にのびました。4月号は、石川さんの最高裁上告棄却をうけた緊急特集になるとのことです。


1月19日のこと

 長〜い文章を読んで下さって、どうも…。
 この日は玖伊屋の新年会でした。といっても、スタッフ+αで静かに行いました。
 場所は一条戻り橋にある「ふじ」でした。ここはふぐが比較的安く食べられる店なんですよね。そういえば、もしかしたらいつきはふぐを食べたの、このときがはじめてかもしれない…。味の方は…。よくわかりませんでした。
 その後、京都市内某所でみんなで合宿をしました。
 翌日は上に書いたとおり、大阪で座談会。けっこうハードでした。


1月12日のこと

 9度目の脱毛でした。
 12月の中旬と年明けにスキーに行ったので、日焼けがとても心配でした。
 この日は4度目の方と同じ男性の方でした。で、「日焼けしているかもしれません」と言うと、「ありがとうございます」と言われます。 さらに、お医者さんに、「脱毛の効果はどうですか?」と聞かれ、「かなりありますね」と答えると、これまた「ありがとうございます」ですって。
 基本的に、対応がとてもていねいなんですね、美容整形外科って。まぁ、保険外診療ですから、患者はみんなかなり高額のお金を払っているし、それにたいするものなのかもしれませんが、それにしてもびっくりします。
 ところで、今回は4度目の方と同じ男性の方でした。どうやらこの人、他の人と違って、お医者さんなのかな。はじめ出てきた人とちょっと話し合って、その後交代されました。で、「今日はわたしが打ちます」って。そうか〜、「打つ」っていうのかぁ。
 いつもより出力をあげたみたいで、けっこう痛かったです。とくに鼻の下。バチッ!とやったあと、口の中まで熱さが伝わってきて、これには参りました。

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2001年12月のこと

 12月かぁ。まだなんとかなるかもしれない…。と思いながらも、やっぱり思い出すのが難しい…。やっぱり「日記」ってまめさが大切ですね(「まめ」って打って変換を押したら「忠実」って出てきてびっくりした!)。


12月27日のこと

 8度目の脱毛でした。
 なにが悲しくて、年末の昼間に脱毛かと思うんですけど、ま、しゃーないですね。ちょうど、上の子どもとつれあいが午前中京都市内で用事があるので、一緒に行くことにしました。
 午前中はその用事につきあって、お昼ご飯は久しぶりに3人で食べました。京福茶山駅の近くにある「やまちゃん」というラーメン屋さんです。ここがなかなかおいしい!チャーシューもとろけるように柔らかいし、なんといってもスープがいい!軽く行列のできる店ですけど、おすすめです。
 脱毛そのものは、別に何がどうということもなく…。


12月22日のこと

 玖伊屋の日です。
 昼間に新大阪まで出張しました。新大阪の出張の時は、かならずお昼ご飯を食べに行く店があります。店の名前は知らないのですが、「中島中学校」という「その筋(どの筋やねん)」でとても有名な中学校があります。その中学校の近くにあるお好み焼き屋さんです。
 いつも、カスとすじのお好みを頼むんですが、ここのすじは一度炊いておいたものを使うんですね。ですから、すじ特有の固さがなくって、とろとろなんです。
 あと、焼き方も勉強になりました。
 お好みの「タネ」の上に具をのせて焼くと、ひっくり返して焼くときに具が焦げちゃいますよね。この店の場合、「タネ」「具」ときて、そのうえにうっすら「タネ」をのせるんです。ですから具が焦げない!さすがお好みの本場、大阪だなぁと感心しました。
 で、夜は玖伊屋だったんですけど、クリスマスですからやっぱり「鳥の丸焼き」ですね。えぇー、A地下で鳥の丸焼き!と思われる方もおられるでしょうけど、つくりかたはとっても簡単です(おっと、レシピも更新しなくっちゃ)。あと、ケーキが出てくるのはもちろんですよね。残念ながら、ケーキを焼くのは今回は見送りましたけど、いつものとおり、百合子さんが京福茶山駅(ここばっか…)の近くのおいしいケーキ屋さんでデコレーションケーキを買ってきてくれました。


12月12日のこと

 7度目の脱毛でした。
 なにかあったっけ…。
 とくに何もなかったということで…。


12月6日のこと

 東京都の人権関係の人たちが、関西に「視察」に来られました。どういうわけか、いつきも「その筋」で呼ばれて、みなさんと懇談をすることになりました。で、さらにどういうわけか、晩ご飯も一緒に食べることになり、さらにどういうわけか、関西のSTN関係者+α総結集(は、おおげさ)になりました。
 そもそもは、10月頃にかかってきた1本の電話でした。いつきは本職の方で、ある機関紙に記事が載ったんですね。で、そこに書いてある資料を、いつきのことをいつきとは知らずに東京都の人権教育関係の方が請求してこられたわけです。 その方のお名前を聞いて、「ん?」と思いました。どうも8月の東京でのSTNの総会の時に、同じ名前の人がいたな、と。そこで、「8月25日、中野におられましたか?」と聞きました。すると「いましたよ」って。で「いつきです」というと、もう、すごく驚いておられました。
 それからしばらくたって、「関西に行きます」という連絡があり、さらに「夜にSTNの人たちと会いたい」ということを言ってこられました。で、急遽STNのみなさんに呼びかけました。
 結果、すごい人たちが集まりました。例えば、「The堂山教師」を主宰しておられる海人さんとか『先生のレズビアン宣言』を書かれた池田久美子さん、他にもゲイの方が2人、セクシュアルマイノリティにかかわる教育に力を入れておられる人が2人、そうそうたる顔ぶれになりました。
 海人さんの紹介で、「アリラン食堂」という鶴橋の飲み屋で心ゆくまで飲み・食べ・しゃべるひとときを得ました。いい機会を与えてくれてありがとうございました>S馬さん!

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2001年11月のこと

 って言っても、11月のことなんか、ほとんどおぼえていないよ〜。メモ帳とか朱美さんからもらった写真とかひっくり返しながらちょっとだけ書きますね。朱美さん、いつもありがとね!


11月28日のこと

 6度目の脱毛です。
 でも、なにがあったか忘れちゃったよぅ!
 そりゃそうだ。毎回同じことやっているんだもんね…。


11月12日のこと

 5度目の脱毛です。
 いつも脱毛にいっているところの近くに、おもしろいリサイクルショップがあります。なんと、トーレンスのターンテーブル・アキュフェーズのCDプレーヤー・マッキントッシュのパワーアンプ・JBLの4431(だっけ)…。もう、すごいのが並んでいます。
 マニアにはたまらんですわ…。って、いつきはマニアじゃないけどね!


11月10日のこと

 玖伊屋でした。
 今回のメニューは「チゲ」です。レシピのところにもあるように、「チゲ」にはキムチも入れるんですけど、今回は、手づくりキムチを出しました。
 当日のわたしの姿は…。こりゃお見せできんわ…。

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2001年10月のこと

 気がついたら、もう11月も終わろうとしています。なのに、10月分の日記の更新がまだすんでいない!
 10月だっていろいろありました。ということで、大急ぎで書くことにします。


10月29日のこと

 4度目の脱毛です。
 今回の担当の方は男性でした。「へー」と思ったんですが、この人、とってもうまいしていねいでした。とくに、脱毛が終わったあと、冷たいタオルをしばらく顔にかけてくれたり、ていねいに顔をふいてくれたり、本当に気持ちがよかったです。
 レーザー脱毛って、ヒゲに対して効果があったときは、そのヒゲが飛び出て来るんですよね。そうすると、極端な話「無精ひげ状態」になるんです。でも、今回は、ていねいに顔をふいてもらったおかげで、そんなこともなかったし。
 う〜ん、この手のことのていねいさって、ジェンダーとは関係ないんだなぁということが実感できたひとときでした。


10月15日のこと

 3度目の脱毛です。
 この日の担当の方は、どうもほとんど初心者状態だったようです。なにしろ、機械がウォームアップしていないので、照射テストをはじめるまでに10分近くかかるわ、目隠しのゴムは切れるわ、レーザーの発光部が滑るわ。でも、なんとか無事に終わりました。
 しかし、3回目になると効果はすごいものですね。目に見えてヒゲが減ってきました。最近はほとんどひげ剃りをしなくてもOKという感じです。おかげさまで、ますます化粧をする気がなくなってきました。


10月14日のこと

 いずみちゃんが再び京都に来ました。
 今回は、はるるんさんに用事があって、そのついでということで、「MLながら」に乗る前のごく短時間しか遊べなかったんですけど、京都の「濃いぃ」夜を満喫してもらえたのではないでしょうか。
 まず、圧巻は何といってもいずみちゃんの登場シーンでしょう。
 待ち合わせ場所は京都駅のある階段の下だったのですが、階段の向こうからあらわれたいずみちゃん、まりあさん@玖伊屋、ミキさん@はじめましての3人。みなさん金髪なんですが、あらわれた瞬間、その場の空気が輝いた気がしました。
 そのあとも、ほとんど「そこのけ状態」でみんなで歩きます。途中タクシーから降りようとしていた若いギャル(死語)は、瞬間絶句したあと「おかま〜」と連呼します。あまりのしつこさに、いずみちゃんは一言「そうか〜、キャラがかぶったしかなぁ」。
 さらに、前回実現できなかった「いずみちゃん」「まりあさん」「ヒッピー」の三つどもえが実現できたのは、すごかったです。政治ネタからプロレスネタまで縦横無尽に話は飛んでいきます。また、「いずみちゃんナイトin京都」をぜひとも実現しようという話も飛び出しました。
 ま、そんなこんなで9時頃、いずみちゃんを駅まで送って解散でした。
 ちなみに、この日のいつきはほとんど「カメラ小僧」状態でした。


10月6日のこと

 この日は、玖伊屋でした。
 当日のメニューは、お客さんの佑起子ちゃんのリクエストで「サムゲタン」でした。でも、それだけというのもなんなので、ちょっと手に入れた「あめすじ」の串焼きも出すことにしました。
 サムゲタンについては、レシピのところに書いてあるので、ここでは「あめすじ」について書くことにします。
 「あめすじ」って、どこのところになるのかな。たぶん「腱」じゃないかと思います。どなたかご存じの方がおられたら、掲示板にでも書いて下さいね。
 この「あめすじ」はじめはごりごりに固いんです。ところが、圧力鍋などで煮込むと、ものすごくやわらかくなり、ねっとりとした歯ごたえになります。もちろんこれをミソ味や醤油味などで煮込むと、さらにとろけるようなゼラチン質になります。鷹の爪を売れると、ちょっとぴりっとしてまたうまい!
 で、今回は、ちょっと趣向を変えて「ニンニク醤油」をつけながらの串焼きにしましたが、少し香ばしくて、歯ごたえも少し出てきますが、歯にまとわりつくような独特の食感はやはり「あめすじ」特有のものでした。
 また、レシピのところに載せますね。


10月3日のこと

 久しぶりに「窓の杜」を見に行って「ブラウザ」のところを見ていたらoperaというブラウザがあることに気づきました。
 実は、いつきの非力なパソコン(MMX 166MHz,memory128M,HardDisk 3.2G)では、netscape6.1はあまりにも重すぎるのです。なんでも、operaって、世界最速とのことです。思わずダウンロードしてしまいました。
 ところが、opera5.12は日本語対応をしていません。もちろん、いつきのページを見に行っても、文字は化け化けです。どうしようかなと思い、あちこちさがしていたら、wireselfという方のページを見つけました。
 ここで、さまざまな情報を収集しました。まず、文字コードをShift-jisにするために、delegateというソフトを入れます。これで、日本語表示ができるようになります。さらに、日本語表示では自動改行をしてくれないので、ぷろろんというソフトを入れます。これで、ウィンドウ幅にあわせて自動改行できるようになります。
 実際には、delegateもぷろろんも自分のパソコン上で動くサーバーソフトですので、プロキシをいろいろいじくったりしなくちゃいけなくて、なかなかたいへんでしたが、2〜3日で、なんとか動くようになりました。
 ところが、メインブラウザにしようとしたら、どうしようもないとても大きな問題点があることが発覚!なんと「2chを見に行ったら落ちる」ということがわかりました。
 これはどうしようもありませんでした。しかし、11月になって、日本語に正式に対応しているopera ver6βがでました。これはもちろん2chにいっても落ちません。
 ということで、ようやくnetscapeを消すことができるようになりました。

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2001年9月のこと

 なんだか、この「不定期日記」、月1回の更新になってきましたね。ま、それでも更新しないよりはいいかと思いますが…。

 9月は前半は文化祭でバタバタしました。中ごろからやっと一息という季節です。


9月28日のこと

 2度目の脱毛です。1度目はその前日までヒゲを抜いていたので、レーザーを照射してもあまり「パチッ、(焦げくさ〜)」がなかったんですけど、今回はたっぷり2週間分のヒゲがたまっていたので、なかなか痛かったです。


9月19日のこと

 この日は、ある団体の理事を辞められる方のパーティーがありました。久しぶりに古くからの友人たちに会うと、みんな一様に「どうしたん?」と聞いてきます。しかたないですよね。前にあったときは頭モジャモジャ、ヒゲボーボーでしたから。実は、覚悟を決めていました。で「性同一性障害やねん」と思いきって言うと、そのうちのひとり(女性)が「そうやったん〜、◯◯さん、女の子やったん」と言ってきました。そして「違和感ないよ」って。その人は医療関係に勤めているので、最低頭では理解をしてくれるだろうし、それまでのつきあいを思い返しても、きっと心でもわかってくれるだろうと思ってました。そのあと、なんとなく目を会わせてはにっこりしていました。またひとつ、あまり自分を隠さなくてもいい場所ができたのかなと思いました。「あまり」というのがちょっと寂しいですけどね。


9月15日のこと

 この日は、玖伊屋でした。

 当日のメニューは「焼き鳥」でした。もちろん炭火です。炭をおこしはじめたときから、地下室はたいへんな状態になりました。一面煙だらけです。だって、換気扇がないんですから。しかたないので、先月導入した扇風機を壁の上の隙間へ向けて、なんとか換気をするようにしました。ところが、焼きはじめるともっとたいへんなことが起こりました。って、当たり前ですよね。焼き鳥から出る油が炭の上に落ちるんですから。後から来たお客さんが、「地上までにおいが漂っていた」って言っていました。ばれたらやばかったです。

 当日焼いた肉は次の通りです。

ねぎま・すなずり・なんこつ2種類・皮・せせり

でした。まぁ、皮を焼いたらすごい油なのはしかたないですね。でも、なかなかジューシーでおいしかったです。ちなみに、1本あたりの値段をどうしようかと思ったんですけど、100円にすると大吉と同じになりますよね。いくらなんでもプライドが許しませんので(?)1本50円に設定しました。あっと言う間に売り切れました。

 あと、一緒に焼いた野菜は

しいたけ・みょうが

でした。こちらのほうは、2本で50円でした。

 「焼きみょうが」って言うと、みなさん「えー」と言われましたが、そのまま焼いて、ミソをつけて食べてもよし、そのままでもよしです。おいしいですから、ぜひともみなさんもやってみて下さい。

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2001年8月のこと

 8月は夏休み真っ最中。なんだかいろんなことがありました。


8月26日のこと

 「いずみちゃん京都迎撃作戦」の当日でした。
 朝11時に出町柳駅でいずみちゃんと待ち合わせ。そのままA地下へ直行しました。そこに待ち受けているのは夜勤明けのまりあ姐さん。いきなり左翼ネタで盛り上がりはじめます。その日一日の幕開けでした。
 11時30分南へ向けて出発。目指すは「水月亭」です。ここは、豚の焼肉や内蔵のさしみなんかを食べさせてくれる店です。京都駅で池田百合子さんと神戸さいこさんと合流。まずは水月亭で昼食会です。まぁ、みなさん飛ばす飛ばす。いずみちゃんとまりあさんはひたすらプロレスネタで盛り上がっていました。わたしたちの後ろにいた人たちが、どうやら私たちのことをいろいろ言っていたみたいですが(わたしには聞こえませんでした)、彼らが帰ったあと、わたしを除く4人は大爆笑をしていました。また内容、教えてくださいね。
 そのあと、せっかくだからということで、東九条〜崇仁地区のフィールドワークを行いました。ここで、まりあ姐さん、再び夜勤のため滋賀県へと向かわれました。
 2時頃より、途中、あちこちのセクトの事務所(跡)とか寮とかをまわりながら、目指すは岩倉にある大成寮です。旧館が取り壊されたため、そのなかにあったいろいろなものを見ることができるということで、訪れたのです。寮に着き、そこにいた寮生に「あのぅ」と遠慮しながら「見たいんですけど」というと、「どうぞどうぞ」と招き入れてくれました。見ると、ヘルメットはごろごろ、バットとか何とかいろんなものがあります。おもわず「おおっ」と感激の声を漏らすと「どうぞ持って帰って下さい。まだまだありますから」とこれまた感激の声。いずみちゃんは「ガサ入れ」にあった3連ヘルメットを、わたしは赤と黒ふたつのヘルメットをありがたくいただいて帰りました。
 5時頃、A地下に到着。ここで、玖伊屋の常連のひらっちさんが合流しました。みんなで田中のあたりにあるとてもおいしいケーキ屋さんのケーキを食べてしばらく時間をつぶしたあと、4条河原町へタクシーで。
 目指すは「静」です。ここは、壁一面に落書きがあって、なかなか風情のある店なんです。ここでさらにヒッピー(日比野真さん)が合流です。いよいよディープなメンバーがそろい、とてもディープな会話が飛び交いました。わたしはちょっと酔いはじめていたんですけど、とにかく、わたしたちは今後どう運動家として生きていくかみたいな話がばんばん出てきました。結局閉店までいて、いずみちゃんを駅まで送って、一応解散ということになりました。
 いずみちゃん、「来てよかった。これからの自分のあり方を決めさせてくれた」と言ってました。うれしかったです。
 いずみちゃん、また来て下さいね〜。


8月24日のこと

 「セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク(STN21)」の総会・学習会が東京でありました。わたしは翌日・翌々日と京都で用事があったので、この日だけの参加でしたが、他のメンバーの人たちは26日のパレードまで3日間はねまくっていたみたいです。
 総会の場所は中野でした。あいにくの雨でしたが、傘を忘れてしまい、ぬれながら何とか到着すると…。いました!宮崎留美子さん!いつものあでやかな(?!)格好でした。わたしは新幹線からそのまま直行だったので、いつものポロシャツとジーンズだったのですが、わたしの姿を見るなり「なによ〜、その格好」と言われてしまいました。「いつもの格好ですけど…」と言ったものの、もちろん着替えは用意してありましたので、すぐに着替えに行きました。といっても、トイレです。まさか「男子トイレ」からスカート姿で出てくるわけにもいきませんから、やっぱり「女子トイレ」に入りました。個室に入ったとたん、2人入ってきて、鏡の前で雑談をはじめました。ちょっとあせりましたね。でも、着替えてメイクをしている間に出て行かれて、ホッとしました。やっぱり、中島先生に話をして「性同一性障害」の診断書をもらおうかしらと思った瞬間でした。
 総会・学習会はつつがなく終わり、恒例の交流会です。もちろんわたしはこれが楽しみで参加しています。会場近くのイタリアレストランに移動しました。どうして東京のゲイの人って、あんなにおしゃれなのかなぁ。わたしだったら、きっと「居酒屋」です。いっぱいパスタを食べて、いっぱいワインを飲んで、ホテルに移動しました。
 実は、ホテルをとるつもりはなかったんですけど、池田久美子ちゃんに誘われてホテルに行くことにしました(これって、ちょっとドキドキする書き方か…)。まぁ、このあたりについてはいろいろとあるんですけど、それは省略して、結局3時半頃まで久美ちゃんの部屋でゲイの人と3人で話し込みました。それにしても、レズビアンとゲイって、考え方がまた違うんだなぁと実感した夜でした。
 翌日朝一番、久美ちゃんと関西へむけて一緒に帰りました。


8月11日のこと
 玖伊屋でした。

 このときは、「おんもに行こう」ということで焼肉屋「ニュー天楽」に行きました。総勢7人の「女装軍団」です。最強ですね。お店の人もぶっ飛びながら、とっても愛想良くしてくれました。なんといっても、わたしたちに呼びかけるとき、一貫して「おねえさん」と言ってくれたのは、さすがでした。もちろんお肉の味は最高です。おもに「白い肉(ホルモン系)」ばかり注文していたので、安あがりだし、肉の味としては、実はそっちの方がおいしいということもあって、みなさんとても満足しておられました。そうそう、忘れちゃいけない。なんと、この店ビールを「樽単位(7L)」で注文できるのです。もちろんわたしたちもひと樽注文しました。さらに、タッペギもあって、これがまたおいしい。
 ということで、肉食べまくり・お酒のみまくりのご機嫌な夜でした。


8月6日〜9日のこと

 6月に書いた「某人権教育セミナー」の「全国セミナー」がありました。このセミナー、わたしはずいぶん前からほぼ毎年参加をしています。で、3年前からこのセミナーは「セクシュアルマイノリティ」についてのとりくみをはじめました。具体的には、3年前のセミナーでは池田久美子ちゃんとか堀江有里さんをお呼びして「性的少数者の人権」分科会を持ち、堀江有里さんには全体会でも話をしてもらいました。また、分科会にはOLPのメンバーが参加してくれ、本当にスリリングな刺激的な分科会になりました。わたしもこのときはじめてカムアウトをし、分科会とそのあとに持たれた交流会に、スカート姿で参加をしました。「そういう場所」ではないところでトランスをしたのは、このときが初めてでした。
 昨年度は高嶋幸世さんというMtFTSの方をお招きして分科会を持ちました。このときは、わたしは全日程を「女性」として参加することにしました。ま、宿舎はホテルでシングルだったので、お風呂とかの心配はなかったのですが、会場でのトイレとかやっぱり不安でした。でも、セミナーの参加者の方々のご理解で、そのあたりもクリアしました。いよいよ帰るとき、ジーンズに履き替えるとき、「イヤだ〜」とか、半泣きで言っていたのを思い出します。
 今年は、実行委員としての参加になりました。もちろん全日程「女性」としての参加です。実行委員としての参加なので、どこかで役割を分担しなくちゃいけなくて、結局「2日目夜の交流会の司会」という大役を仰せつかってしまいました。目立つっちゅうのに…。
 夜の交流会です。朝にヒゲを剃ったあと、まったく顔を触っていませんから、ヒゲもうっすら伸びてくるし、お化粧も崩れてきますよね(それほど塗ってないけど)。で、トイレに行ってヒゲ処理&化粧をしようと思ったんですけど、交流会の会場って、一般の人も来る可能性があるところだったんです。どっちのトイレに入ろうかずいぶん迷ったんですけど、意を決して「女性」の方に行くことにしました。すると、そこにはすでに先客が…。幸いにしてそのセミナーでとっても仲良くなった人だったのでホッとしました。でも、そのあと一人知らない人が入ってきてひやっとしましたけど、実はその人も交流会の参加者で、事なきを得ました。
 実は、一緒に司会をした(ネイティブ)女性が、このときずっとわたしをサポートするべく一緒にトイレにいてくれていました。本当に助かりました。
 ま、このときの3日間のことを思い出すと、まだまだ山のようにあるので、このぐらいにしますね。

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2001年7月のこと

 7月もなんか公私ともに忙しかったです。このころになると、つれあいも比較的元気になってきて、ホッとしました。


7月21日のこと

 玖伊屋でした。
 なんと、この日初めて玖伊屋に「扇風機」が持ち込まれました。冷房系の導入は初めてで、その涼しさに感動しました。しかし、どんなんや…。
 当日のメニューですが、最初のうちは「焼肉をしよう」という話だったんですけど、「暑い」ということで却下。かわって、「スタミナならばうなぎでどや!」という意見が出てきて、結局そっちの方になりました。
 で、メニューは「うざく」それから、家にたまたまきゅうりとなすびがたくさんあったので「キュウリの炒め物中華風」と「蒸しなす」にしました。あと、ついトマトなんかで涼味を出そうかなということで、これまた定番の「カルパッチョみたいなもの」もつくりました。当日は、わたしだけではなく、池田百合子さんもむっちゃおいしいうなぎを持ってきてくれました。あと、ヨコシマミドリさんが初参加(かな?)で、「鳥の手羽先の唐揚げ」とか「豚の角煮」とか持ってきてくれて、賑やかな食卓になりました。ちなみにヨコシマさんのサイトに「いつきさんのつくった蒸しなすは絶品」って書いてありました。エッヘン。


7月13日のこと

 岡山病院の日でした。この日は、つれあいも一緒に行くという約束になっていました。久しぶりのデートの気分で一緒に新幹線に乗り、ちょっとウキウキとした感じでした。
 病院では、やっぱり予約していた時間より1時間以上もあとになりました。
 それでも、昼を過ぎて1時間以上話をしました。彼女としては、「トランスであることは受け入れている」けど「身体にインパクトのあることはしてほしくない」ということでした。中島先生は「ホルモンについては、いろいろな意見があり、たとえば、肝臓に負担がかかるという話もあるけど、わたしはそんなに気にすることはないと思っている」という意味のことを言っておられました。毎日お酒を飲むよりは、ホルモンの方が肝臓への負担は小さいとのことです。ま、わたしは毎日お酒を飲んでいるので、肝臓への負担はかなりになるかもしれませんけど…。で、結論としては、「徐々にではあっても変化をしていきたい」というわたしの要望と彼女の要望の妥協点として「脱毛をとりあえずする」というところで落ちつきました。なぁ〜んだという感じもしますけど、数ヶ月かかってようやく出した結論ではあるわけです。で、「とりあえず脱毛が完了して、さらに必要であればまた来て下さい」ということで、診療もいったん休止ということになりました。


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2001年6月のこと

 ということで、まずは月ごとに加筆をしていくことにしますね。
 6月は、と。そうそう、つれあいが3週間ほど入院をしていました。で、子どもふたりと3人の生活。やっぱシングルで子どもを見ると、とっても忙しいです。でも、半ば意地もあって、お弁当は毎日つくりました。ま、たいしたことないですけど。
 上の子どもは小学4年生。でも、突然の入院だったので、彼女は「行ってきます」を言う間もなく病院に入ってしまいました。子どもが学校から帰ってきたら、母親はいないという状況でした。もちろん下の子(当時3歳)にいたっては、保育園から帰ってきたら、「ママがいない!」状態でした。で、そういうのはいけないだろうということで、病状が一段落したあとそれぞれ見舞いにつれていったのですが、ま、上の子はしっとりと話しあっていましたが、下の子がたいへんでした。帰るときはともかく、帰りの車の中で突然泣き始めるのです。で、子どもの好きな「ベターライフ」に行こうと言うと、「ベターベターベターライフ」と泣きながら歌いはじめました。なんというか、かわいそうというか何というか。最近(9月)になっても、つれあいはよく病院に行き、下の子と私の2人になることがよくあります。下の子は「ママ病院?」と言って、電話がかかってくるのを待っています。
 ということで、トランスとはぜんぜん関係ないネタでした。


6月23日のこと

 このころにはつれあいも退院していたので、なんとか動かしてもらえる状況になっていました。
 この日は、兵庫県で「某人権教育セミナー」の運営委員会がありました。この運営委員会は古くからのつきあいがあるのですが、現在は「いつき」として参加しています。
 さて、この日の委員会は一応泊まりでやることになっていたのですが、つれあいが退院直後だったので、わたしは宿泊はやめました。でも、けっこう遅くまで交流会などもやるんですよね。きっと帰りの電車がないなと思い、「ちょっと雨がふるかなぁ」と思ったんですけど、バイクで行くことにしました。京都から大阪に入り2号線に入ったあたりから、ものすごい雨になりました。わたしのバイク、知る人ぞしるRZ250初期型なんです。フロントブレーキのディスクには穴は空いていないし、リアブレーキはドラムだし、タイヤにいたっては、フロントは「TT100」という落涙もののタイヤなんです。ま、簡単に言えば、ブレーキをかけたら「かからない」か「転ぶ」かという状態なんですね。ほんと、死ぬかと思いました。それでもなんとか会場について、グローブをはずすと、皮の色がついて真っ黒。これじゃぁ、トランスできないわ!と思ったんですけど、ま、別に知っている人ばっかりなのでいいかということで、ユニクロで買ったストレッチのTシャツとデニム地のペラペラのロングスカートに着替えました。
 会議終了後、近くの中華料理の店に行き(なかなかおいしかった)、みんなでごはんを食べました。さらにそのあと、夜景の見えるバーに行き、ちょっとオシャレに楽しみました。
 それにしても、以前は考えられなかった「お出かけ」が、なんか何でもないことになってきたのは、すごいことですね。って、単なる「慣れ」か…。


6月16日のこと

 ということで、この日は「T’sフェスティバル&玖伊屋」でしたが、行けませんでした。

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2001年5月のこと

 うわぁ、こんなに長く更新していなかったんだぁ。ということで、ほとんどおぼえていないけど…。


5月29日のこと

 岡山行きの日でした。
 約1ヶ月ぶりに行ったんですが、今回は7時からの診察でした。ところが、なんでも近々病院の建て替えがあるとかで、中島先生はテレビの取材が入っていて、結局診察が始まったのは8時頃、30分ほどしかお話ができませんでした。もっとも、先月からあんまり進展していないので、それはそれでいいかという気もしました。
 とにかく、ダラダラしていてもしかたがないので、「ここまで」と期限を区切って、そこまでに暫定的な結論を出していくという方法で考えていきましょうと提起されました。当面は、8月という事になりました。でも、8月までに結論なんて出るのかなぁ。


5月26日のこと

 玖伊屋でした。でも、メニューも何もかもおぼえていない…。朱美さんから写真をもらっていたらまだなんとかなったかもしれませんが、ハードディスクを調べたら、それもない。ということで、報告なし。

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2001年4月21日のこと


 さて、12月以来、久しぶりの玖伊屋でした。
 なにしろ、春です。タケノコの季節です。そういえば、このホームページをはじめて、不定期日記のコーナーをつくったはじめのころに「木の芽あえ」とかなんとか書いていましたね。あれから1年が過ぎたんだなぁと、ちょっと驚いています。玖伊屋でみんなにそんなことを言って「はじめてきてから、もう1年になるんだね」というと、「ちゃうやろ、2年やろ」と言われ、頭の中が「ん?」となってしまいました。もう歳かなぁ…。
 さて、玖伊屋ではタケノコづくしでした。わたしがだしたのは、「木の芽あえ」「わか竹」「牛肉とタケノコのたいたん」「タケノコの刺身」でした。さらにアボガドを持ってきた人とか、「551の肉まん」を持ってきた人などもいて、けっこう広いテーブルの上がいっぱいになりました。
 はじめて玖伊屋に参加した人と話していると、その人も岡山に通っていることがわかりました。岡山大学付属病院だそうでした。「岡山はいいよね〜、埼玉のガイドラインはむっちゃきびしいもんね〜」とかなんとかいろんな話をしました。そうそう、「4月20日のこと」には書きませんでしたけど、中島先生がこんなことを言ってらっしゃいました。 「だいたい埼玉医大の言っているリアル・ライフ・エクスペアリエンスは、日本では不可能なんですよ。来年にはもっとガイドラインは緩和します」 。おいおい、すごい話を聞いてしまったなぁという感じでしたね。こんなこともその人と話をしていました。
 そういえば、わたし、まりあさんからの着メロは「インター」なんですよ。必死で作曲して4和音で鳴らしています。それを玖伊屋で披露しました。するとまりあさんの口から思わず声が…「い〜ざた〜たか〜わん、いざ!」あとは、いつきとまりあさんの大合唱大会でした。これもまた、玖伊屋なんですね〜。そのうち眠くなって寝てしまい、次に気がついたときは朝の6時半頃でした。

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2001年4月20日のこと


 ということで、岡山県立岡山病院に行って来ました。
 岡山病院って、岡山大学のとなりにある精神科・神経科専門の病院なんですね。建物もけっこう古くって、「しんどそうな」患者さんも多くって、はじめはちょっとひいてしまう雰囲気でした。自分の中にある精神病患者さんへの差別感を突きつけられた瞬間でした。
 でも、よくよく考えてみると、そういう「しんどそうな」人が、わたしたちの前から隠されているから慣れない気持ちになるだけで、ほんとうはもっと当たり前にこの世の中に存在しているんですよね。で、そういう病気も「個性」としてバリアフリーに受け入れられていたら、あのときのわたしのような気持ちにはならないんじゃないかと思いました。そう、ちょうどわたしたちトランスが「個性」としてバリアフリーに受け入れられる社会を、わたしたちが望むのと同じようにね。
 さて、診察はとても楽しい時間でした。中島先生のお人柄なんでしょうね。約1時間の診察時間があっと言う間にすぎてしまい、「先生、もっとお話しよ〜」みたいな感じでした。
 聞かれたことは、まず最初に「どうしてここに来られたんですか?」ということでした。でも、瞬間「う〜ん」となり「どこから話せば…」というと、「いや、どこからでも」ととっても軽〜いノリで返されてしまいました。で、同僚からゲイであることをカムアウトされたこと、彼のことをもっと知りたいと思いセクシュアリティについての勉強をしたとき、はじめて「トランスジェンダー」という言葉を知ったこと、そして、まぎれもなく自分はそれだと感じたことなどを話し、自分の経験してきたことや、迷いながらも診察を受けようと思ったことなどを話しました。
 なぜ、診察を受けることについて迷いがあったのかというと、やっぱり「自分は性同一性障害ではないと診察されることへの恐怖」でした。そんなんおかしいですよね、客観的に考えると。自分でもわかっています。「病気ではない」と言われる方が、本来いいに決まっています。でも、宙ぶらりんな自分の状態を何とかして欲しいという気持ちと、「違う」と言われたらますます宙ぶらりんなままになってしまうという気持ちの間で、どうしてももう一歩が踏み出せないでいました。また、あちこちのホームページ・掲示板を見て回っていると 「わたしは診断を受け、性同一性障害(性転換症)と言われた。でも、あなたの考え(感性)はわたしとは違う。だからあなたは性同一性障害ではない」 などという書き込みがよくありますよね。自分の中で、そういう書き込みに対して反論するための確固たる自信もないまま診察を受けることができませんでした。
 中島先生との約1時間の話の中で、そういう自分の気持ちは吹き飛んでしまいました。正直に上に書いたようなことを言うと、「いやぁ、たしかにすごいですね。時には『バトル』もあるみたいで」などと、これまた軽〜いノリで返されてしまいました。で、いろいろ話をして、最後に「で、先生、わたしは性同一性障害なんでしょうか?」と意を決して聞いてみました。すると、「1回の診断で100%とは言い切れませんが、おそらくそうでしょう」と言われました。なんともいえない気持ちでしたね〜。で、先生は「もう少し何度か話をする必要があるので、また来月来てください」と言われました。わたしは「先生、来月までの『宿題』はなんですか?」とたずねました。すると「家族としっかりと話しあって下さい」と言われました。
 たしかに、自分の身体は自分一人のものではありませんね。つれあいとこれからどうつきあっていくのか、子どもにはどう伝えていくのかなど、考えなくてはならない大きな山があります。
 わたしの「治療」がようやく動き始めたという感じです。

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2001年4月9日のこと


 「3月7日のこと」に「カウンセリングを受けることにした」と書きました。じつは、春休み中に行こうと思い、知りあいのカウンセラーの方を通して近畿大学医学部付属病院のことを調べたりしていたのですが、なかなかうまくいきませんでした。で、どこからどう手をつけていいかわからないままに春休みがすんでしまい、新年度が始まってしまいました。
 このままじゃ…、と思っているときハタと気がつきました。「 TNJ(TSとTGを支える人々の会) に聞けばいい!」
 そうです。『性同一性障害の基礎と臨床』の資料はもともとはTNJから出されたいたものなのです。さっそくメールで問い合わせてみました。すると、数日後、森野ほのほさんから、とてもていねいなメールが返ってきました。そして、考えた末、岡山県立岡山病院に行くことに決めました。
 さっそく、岡山病院に「中島先生の診察を受けたいんですけど…」と電話をすると、「今度の金曜日か、来週の金曜日か、その次の金曜日のどれがいいですか?」と聞かれ、「来週がいいです」「はい、じゃぁ11時頃」と言われ、意外なほど簡単に予約が取れました。
 じつは、有名な先生なので、トランスの人が殺到していて「3ヶ月待ち」とか言われたらどうしようと思っていたのです。でもよくよく考えてみると、トランスの人って、絶対数がそんなに多いわけでもないし、こんなもんかもしれませんね(違っていたらゴメンナサイ!)。
 ということで、来週の金曜日、行ってきます!

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2001年4月6日のこと


 といっても、6日の深夜のことです。
 じつは、最近ヒゲを剃らずに抜きはじめたんですよね。ちょうど、花粉の時期でずっとマスクをしているし、鼻の下のヒゲが多少伸びていても、見られないということで、脱毛をするにはいいタイミングなんです。
 蒸しタオルを準備して、ツィザースでつまんで、エイッとやると、以外に簡単にヒゲは抜けますね。でも、10本ほど抜くと、なんとなく痛重〜い感じがしてきて、そこでやめちゃうという状態が続いていました。
 ところが、きのうの晩、なんとなく抜きはじめて、止まらなくなりました。自分でも「えぇ〜」とか思いながらも、どんどん抜きはじめるんです。で、結局鼻の下、ほとんど抜いちゃいました。
 今朝起きたら、やっぱり「痛重〜い!」。ちょっとつるっとした鼻の下には満足ですけど…。
 トランスするって、痛いものなんだなぁ、と…。

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